どこまでも空は青く


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転機

イエスは、みなの者に言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」ルカ 9の23、24

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えていただきなさい。 」 ローマ 12の2


        *      *      *

父の発病、闘病、死、その後襲ってきた疲労感。

クリスチャンになってから何度、死に渡されただろう。

自分にあっては何もないことは知っていたはずだった。
それでもまだ、自分の中には、何の良いものがない事を これでもかこれでもかというぐらいに
徹底的に知らされた。自分に失望し、自分に絶望した。
あの救われた当時の、目くるめくような光の日々は何処にいったのだろうか。

そんな頃
インターネットを通し、「KFM」と「地の塩」という二つのサイトに出あった。
毎日のように二つのサイトに書かれている御言葉を味わった。

そして
「KFM」の「記事/著作物」のコーナーの中にある
「真理はあなたがたを自由にする」の記事の中に書かれていた
私たちの古い人は死に渡されたが、依然として私たちの大脳と中枢神経系には古い認知行動パタンが残るという内容が、私の中に光をもたらした。

肉体の一部である脳は、まだ贖われていないので、そこから来る古い人の思いは実際ではない。それに捉われる必要もなく、悩む必要もないのだ。見えるところの私がどうであれ、また自分がどう感じようが、私はすでに死んでおり、 私はもはや、「新しい人」なのである。それは「真理」だ。
ただ御言葉に書いてある通りに信じれば、主ご自身の真実が実体をなしてくださる。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 」 2コリント 5の17

タイミング良く、私の全人格を否定されるという出来事がおこった。
ただちに
記事で読んだことを実行してみた。

キリストの十字架の贖いによって
与えられた「義」を確認し、ローマ書8章1、2節を声に出して言ってみた。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。 」ローマ8の1・2


御言葉が、瞬時に安息の領域へと導いた。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
              へブル 4の12



私に転機が訪れた瞬間であり、長年思い巡らせていたルカ9の23・24、ローマ12の2への扉が開かれた訪れでもあった。


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by powder_snow31 | 2004-10-17 18:48 | 証し

    
思いつくままに
by powder_snow31